えのぐ日記

小学校で図画工作専科の教諭をしています。

平面と立体

地域の図画工作科の先生が集まって毎年研修をする。人数が多いので3つのグループに分けられる。

「平面」「立体」「鑑賞」

の3つである。

なぜこの3つなのかわからない。不思議である。

 

「平面」はつまり二次元の表現のことである。

平面作品は、フランスでは「タブロー」、「デッサン」と呼ばれ、アメリカにおいては「ドローイング」、「ペインティング」と呼ばれている。フランスが芸術の主流であった時代からアメリカが中心の時代になったとき、絵画制作における行為や触覚に表現の題材が変わっていった。

タブロー(tableau)とは英語でテーブル(table)、日本語で机のこと。デッサン(dessin)とは英語でデザイン(design)、日本語で設計やら模様やら意匠やらいろんな意味がある。基本的に机のような板の上に乗せられた(定着させられた)絵の具について絵画作品という。乗せられた、とあるように作品の完成した状態についての話が主である。

それに対してドローイング(drawing)は(線や形などを)描くこと。ペインティング(painting)も(絵を)描くこと。フランスでは名詞だったが、アメリカでは動詞の名詞形なのである。注目すべきは絵を描く行為そのものだと考えられる。ポロックが絵具を飛び散らしたように、行為の軌跡が絵画であるという考え方である。完成作品からも行為を想像できるのである。

「色を塗った瞬間に平面は空間へとジャンプする」と言われるように、行為とは空間表現のことである。平面は空間表現的である。ということは平面と立体と何か違うところはあるのだろうか。

美術教育で考えるのであれば、フランス流に平面として作品の完成を見るのではなく、空間表現として作品の完成を見る方が子どもの発想や構想の能力、創造的な技能を育てる援けになるのではないだろうか。

 

さらに言うと、新学習指導要領図画工作編において「平面」「立体」などの領域の分類は記されていない。

その二つは「A表現」という領域に含まれる。ちなみに何十年も前から学習指導要領上では「A表現」と「B鑑賞」、さらに「共通事項」の三つに分けられている。「共通事項」の示すところは、表現においても鑑賞においても配慮すべき事項として書かれているため、むしろ領域の分断による誤った解釈を避けている。

「A表現」はさらに二つに分けられ、(それは「平面」「立体」ではない。)一つは「材料やその形や色などに働きかけることから始まる側面」もう一つは「自分の表したいことを基に、これを実現していこうとする側面」である。

「材料やその形や色などに働きかけることから始まる側面」は、「造形遊び」という日本の図画工作科特有の領域である。この側面では結果的に作品になることもあるが、初めから具体的作品を作ることを目標としない。それに対し「自分の表したいことを基に、これを実現していこうとする側面」はテーマや目的を基に作品をつくろうとすることから始まる。

ちなみに中学校美術編では、「A表現」はさらに細かく「発想や構想に関する資質・能力の育成」「創造的な技能に関する資質能力の育成」と分かれ、「発想や構想」に関しては「①絵や彫刻のように感じ取ったことや考えたことなどをもとに自己の表したいことを重視して発想や構想をする資質・能力」「②デザインや工芸のように自己の表したいことを生かしながらも目的や機能を踏まえて発想や構想をする資質・能力」と分かれている。

つまり「平面」「立体」という分け方は現在の絵画表現の流れからしても前時代的であり、さらに言うと学習指導要領にも記述が無い。

たぶんこの分かれ方は地域の作品展に由来するのだろう。教師が子どもの作品を展示し、保護者や地域の人に見せる大々的な展覧会である。教師は飾るときに「平べったいか」「場所をとるか」を考えて展示する。この分類が美術教育を学ぼうとする教員の研修の分類に持ち込まれているのである。実際子どもの作品を評価したり授業で見るときに、「平べったい」「場所をとる」で考える教師は少ない(と考える)。しかしこの作品展があるおかげで、授業を構想するときに「平べったい」「場所をとる」で分類しなければいけないということも事実である。その証拠に、「造形遊び」を実践している教師は少ない。なぜなら作品展に出せないもの、いわゆる「インスタ映え」ならぬ「作品展映え」しない作品がほとんどだからである。

「平面」「立体」という分け方をすることで、学習指導要領とは別の世界でその境界が意識的に引かれてしまっている。それをすることで何の研修になるのだろうか。

 

そんなことを考えながら、私は

平面グループに所属することになった。

 

最初から飛ばしすぎたかもしれない。

またこの後どうなったかは後日書こうと思う。